2018年4月20日金曜日

the nextage について・その2

  the nextageの第3回公演(2017年)は『青ひげ公の城』(作・寺山修司)で、この回から近畿大学の舞台芸術専攻の在校生だけでなく、卒業生にも参加してもらった。卒業後も主に関西で活動している俳優たちである。在学中にthe nextageに参加していた者も、初めて参加する者もいる。この寺山作品では歌と踊りが演出上重要な要素となっているので、歌えて踊れる先輩の力を借りることとなったのである。あと、数年の歳の差とはいえ少しでも大人にみえる俳優が欲しかったからである。東京ではこの作品1979年PARCO劇場での初演以来、様々な演出で何度も上演されている。私は寺山作品の中でも「もっとも実験劇っぽくない」ウェルメイドプレイだと思っている。寺山修司入門に相応しい戯曲で、学生たちには「教育的効用」もあるので数年前にも卒業公演の演目にした。「演劇についての演劇……これは寺山修司の≪近代演劇史最終講義≫だ!というのがキャッチコピー。
    そして、今回の第4回公演は『みず色の空、そら色の水』(作・竹内銃一郎)である。1993年、東京乾電池が初演。高校演劇部の話で、秋の大会に向けてチェーホフの『三人姉妹』の稽古をしている生徒たち。夏休みの合宿での数日の出来事が、高校生17人と顧問ら5人の大人たちによって物語られる。現在、稽古中で三週間後には小屋入りとなるが、稽古場はまさに高校演劇の部活状態のよう。と言っても、私はじっさいの高校演劇の現場は知らないのだが、とにかく賑やかでなんである。これにも卒業生3人に出演してもらっている。一人は大阪ではすでに人気劇団となっている「匿名劇壇」の主宰者でOMS戯曲賞を受賞している福谷圭祐君。唐十郎氏が近大の特任教授であった時の最後の一年を体験している。入学してすぐに『腰巻お仙…義理人情いろはにほへと篇』という彼ら世代にとってはさっぱり分からん舞台でリヤカーを引いている。唐さんに「彼、良いねっ」と言わしめた演劇青年で、私は数年に一度の割で彼の力を頼っている。
 もしお時間があったら、the nextageの舞台、観てもらいたい。東京の小劇場とも、大阪の小劇場ともちょっと違ったテイストを醸し出していると思います。
 
 

2018年4月16日月曜日

the nextage について・その1

   the nextage (ザ・ネクステージ)という名の劇団と言うかユニットを2015年から作って、年1回大阪の小劇場で公演している。構成メンバーは旗揚げ公演と第2回目までは近畿大学の芸術学科舞台芸術専攻の在学生、主として2~3年生であった。演目は『見よ、飛行機の高く飛べるを』(作・永井愛)が第1回公演。第2回公演は学生が数年前に卒業制作として書いた戯曲『Seven Star』(作・卜田 亜彌)とMODEのレパートリー『逃げ去る恋』のニュー・バージョン『逃げ去る恋2016』(原作・チェーホフ『三人姉妹』、台本・松本修)。
    大学の授業としての実習公演とは一線を画して、出演者はオーディションで選び、学外の劇場で有料で公演している。授業では「舞台芸術専攻」とはいえ、必ずしも皆がやる気満々というわけでもなく、残念ながら「単位さえ取れればいい」という学生、「別にプロの俳優になる気はないので、あまりオッサン(私のこと)にガミガミ言われたくない」という学生が混じっている。かつてMODEでは、「もう来るなっ!」「出て行けっ!」と怒鳴り散らしたこともあったが、大学の授業ではそういうわけにもいかず、ぐっと我慢しながらセンセイをやっていることが多い。このthe nextageに関しては、あくまで自ら参加を望んだ者たちが集まっているから、授業に比べれば「キビシイ稽古場」となっている。それでも何年か前の卒業生に言わせれば「ずいぶん優しくなりましたね」、そう見えるらしい。いずれにせよ、授業ではやれないこと、ちょっとハードルを上げた課題に挑んでいる。
    演目としても『逃げ去る恋』は別として、MODEの演目候補にはならなかった作品を取り上げて楽しんでいる。『見よ、飛行機の高く飛べるを』は、明治時代の女学校の寄宿舎の話で『青鞜』、平塚らいてふ、与謝野晶子に影響を受けた女生徒たちの話だ。MODEでは考えられない演目。教育目的と言いながらも、この「新劇的テキスト」、悪くない。良い戯曲である。また、『Seven Star』という作品、まだ近畿大学で教授をされていた竹内銃一郎氏が指導して完成した戯曲なのだが、若い7人の女の子たち (七つ子)が三十路になる日の話である。これ実はあのグリム童話の『白雪姫と七人の小人』を基にして書かれている。それを私はキャバクラという設定にして演出している。歌と踊りもある。これもMODEではありえなかった演目。
 そう、楽しんでいるのだなあ、私は。若い俳優の卵たちと現場を持って、これまでやれなかったことをやっている。ただ限界はある。当たり前だが、参加している連中はこれからMODEや私と将来一緒に何かを作ろうと思っているわけではない。私としても「今後ぼくの作品作りに参加してくれないか」とは言い出しかねている。そんな卵たち相手の現場なのである。
(この項続く)

2018年4月1日日曜日

ブログ始めます!

ご無沙汰しました。松本修は桜満開の大阪で元気にやっております。MODEのいったん活動休止からちょうど2年たちました。東京と勤務している近畿大学のある大阪との往復生活を10年以上続けていましたが、2013年の「カフカ・ブロジェクト2013」での三部作一挙上演のあたりから、さすがに体力的にしんどくなりました。それでも信頼できる俳優とスタッフそしてコアなMODEファンのいる東京からは離れがたかったのですが、意を決して20163月の『あなたに会ったことがある・4』をひとまずの区切りとして、関西移住を決行しました。大学の任期の残り数年間を利用して、これまでにやってきた創作についての記録をまとめたい、自分が拘ってきた演出とか演技について文章化してみたいという目論見もありました。もちろん、関西でも創作活動を続けながらそれが実現出来たら理想的なのですが、そちらの方は目下のところ基盤作り中であります。

 さて、2年が経過。目論見のひとつでありました「本を書く」がこのほどようやく実現いたしました。『ぼくの演劇ゼミナール/チェーホフの遊び方、カフカの作り方』(言視舎刊)という本を刊行いたしました。初めての経験でなかなか大変な思いをしましたが、編集者のバックアップでなんとか発刊に辿りつけました。

 一応、演劇書というスタイルをとっておりますが、ほぼ芝居作りにまつわる雑談と言っていいような肩の凝らない内容かと思います。どうぞ興味のある方は書店やAmazonでお求め下さい。

 ということで今回は本の宣伝でしたが、これを機会にこのブログに、演劇のこと、大阪のこと(舞台や街のこと)、大学での教育活動のことなどを、たまあに書いてみようと思っております。思い出されましたら、たまあにこのブログを覗いてみて下さい。では、また。エイプリル・フールの夜に。松本修でした。